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【2/3】日本の弁護士をやめてアメリカのソーシャルワーカーとして働いてみた|弁護士 谷口太規先生の講演レポート

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弁護士に数多く寄せられる債務整理や離婚といった相談。これらは福祉の専門家であるソーシャルワーカーと連携すると、より良い支援ができます。しかし現状、弁護士とソーシャルワーカーが連携できているのは、ある特定の地域や領域だけ…。

 

この現状を改善し、困っている人たちへの支援の輪を広げたい。そんな思いから「弁護士とソーシャルワーカーの協働を考える会」という勉強会を主催している先生たちがいます。

 

Legal laboratory(法ラボ)は、この取り組みに賛同し、5月24日(木)に新宿・CROSSCOOPセミナーで開催された「日本の弁護士をやめてアメリカのソーシャルワーカーとして働いてみた(弁護士 谷口太規先生 講演)」を取材させていただきました。今回は2回目(全3回)のレポートです。 

 

【1/3】回目はこちら

 

■INDEX【2/3】

 

コミュニティづくりを学ぶため、アメリカに渡ることに

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谷口 太規先生(以下、谷口):コミュニティづくりについて学べそうな場所を探してみると、ミシガン大学ソーシャルワーク大学院にコミュニティ・オーガナイジングという専攻がありました。写真の地図を見てください。ミシガン州の周辺には五大湖があって、カナダにも隣接しています。そしてデトロイトという街があります。

 

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PROFILE

弁護士 谷口太規 先生

東京パブリック法律事務所、法テラスさいたま法律事務所(スタッフ弁護士)などを経て、2015年からミシガン大学ソーシャルワーク大学院に留学。2016年5月からミシガン州公設弁護人事務所にて、長期受刑者の社会復帰を支援するプロジェクトをソーシャルワーカーとして立ち上げ、大学院卒業後は、フルタイムスタッフとして勤務されたご経験を持ちます。2018年2月から再び池袋で弁護士として活動されています。

 

 

谷口その昔、デトロイトは全米随一の大都市と言えるほど大きくなった街です。『フォード』『GM』『クライスラー』といった自動車メーカーの本社があり、そのため南部の黒人の人たちが、働き先を求めて大移動してきて栄えることになりました。

 

その大移動の結果、1950~1960年代における住民の黒人比率は非常に高くなりました。活気もあって、産業だけでなく、音楽などの文化も栄えました。ところが日本の自動車がアメリカに輸入されるようになると、次第に街の製造業は衰退していったという歴史があります。

 

そして1967年に暴動が起きました。労働環境・条件の悪さに人種差別など、さまざまな問題が噴出したためです。その後、デトロイトの景気は右肩下がりとなっていきます。保険金のために家が燃やされた事件も多発したそうです。

 

それと製造業で成り立っている街なので、住民はみんな車を買うことが奨励されていました。そのため交通公共機関がほとんど無い。それなのに仕事が減った影響で車を維持できなくなった人たちが、広大な都市圏の中で点在し、取り残されている。今は中心部は再興しつつありますが、郊外は取り残されたままです。

 

そういった背景から冒頭 【1/3】の写真のような朽ちた家がたくさんあります。当然ながら犯罪率も非常に高い。

 

アメリカには驚くほど刑務所に人がいる

アメリカは、日本ではありえないくらいの人が刑務所にいます。人口10万人あたりの刑務所人口はアメリカが707人なのに対して、日本だと51人くらい。約14倍も日本より多いのです。実際、最近までアメリカでは200万人くらいの人が刑務所にいる状態でした。

 

これは世田谷区2つ分の人口です(世田谷区の人口は約90万人)。こんなに沢山の人が刑務所に入っているのです。特に黒人男性の刑務所人口比率はもっと高くて、人口10万人あたりの刑務所人口は4,400人という状況でした。

 

私は留学した当初、地域で『メンターボランティア』の支援活動をしていました。大人と貧困世帯の子どもを結び付けて、大人に子どものロールモデルになってもらう活動です。しかし黒人男性が全く見つからないのです。なぜなら相当数の黒人男性は刑務所にいるからです。あるいは前科前歴があるため、ボランティアに参加できないという状態でした。

 

このような刑務所人口の増大は大きな社会問題になっています。1970~1980年代にかけて刑務所人口が凄く増えました。これには色々な分析がされており、例えば刑務所の民営化によってひとつの産業になったことや、ニクソン大統領が犯罪を厳罰化したことなどが挙げられます。

 

これだけ多くの人(200万人くらい)が刑務所にいるわけですが、この人たちが社会に帰ってくることも考えなければなりません。アメリカでは数日に一回は出所者支援のニュースが新聞に載ります。出所者支援もアメリカにおける大問題なのです。

 

毎日のように街には出所者たちが、社会への復帰であるリ・エントリーをしてくる状況でした。そして私も、それに関わることになるのです。

 

出所者たちのリ・エントリーにおける目的

リ・エントリーは、経済効果の側面も強調されています 。出所した人が、再犯をするよりも生産的市民となってもらい社会に貢献してもらう方がはるかに経済的効果が大きい。 そこを強調して進めていた印象です。

 

私は大学院で学んでいた一方で、『メンターボランティア』だけでなく、もっと地域に出て活動したい欲求が高まっていました。そこでデトロイトの街に出てみると、犯罪歴を持つ人たちの立ち直り支援をしている団体がたくさんあったのです。

 

そこで弁護士のバックボーンがあった私は、米国のパブリックディフェンダーオフィス(公設弁護人事務所)で、インターンみたいなことはできないだろうかと考えました。門戸を叩いてみると、思ったよりもスムーズにリ・エントリーの支援を手伝えることになります。

 

私のリ・エントリープロジェクトの対象者は、17歳までの少年犯罪によって終身刑を受けた受刑者たちです。ただし少年犯罪の受刑者といっても、既に25年以上の刑期を勤めた40~67歳までの人たちなのです。

 

そもそもこの人たちが釈放される可能性を得たのは『ブライアン・スティーブンソン』という弁護士が、当時の少年犯罪による厳罰は違憲であるという申し立てをしたからです。その結果、連邦最高裁でも違憲であるという判決が2016年に下されました。そのためミシガン州では、再審の対象になる365人の受刑者への支援が必要だったのです。

 

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私が、パブリックディフェンダーオフィス(公設弁護人事務所)に参加した頃、ホリスティックディフェンス(Holistic definition)という概念が、少しずつ全米の刑事弁護士たちのなかで話題になっていました。

 

ホリスティックとは包括的なという意味で、弁護士は法律的解決だけでなく、なぜ犯罪が起きてしまったのか周辺環境の問題も踏まえて、解決策を考えなければいけない。それをやらないと、真に有効な弁護活動にはならないというものです。

 

この概念を最初に提唱したのが、ブロンクスディフェンダーズ(ブニューヨーク・ブロンクス公選弁護人事務所)です。その弁護人事務所では、家族法の弁護士・移民法の弁護士・刑事事件弁護士・ソーシャルワーカーの4人がチームになって1人のクライアントの相談に乗っているそうです。それぞれ専門分野を担当できる人が、クライアントの問題を個別に解決するわけです。

 

こういった動きは、アメリカ国内のどのような法律事務所も見習うべきだという風潮が広がっており、それなら日本から来た私にもリ・エントリーの何かを手伝えるはずだとパブリックディフェンダーオフィス(公設弁護人事務所)に掛け合った結果、サマーインターンとして働きはじめることに成功したのです。

 

サマーインターンとして何をしていたのか

パブリックディフェンダーオフィス(公設弁護人事務所)に出入りできるようになったのは良いのですが、基本的にそこに所属しているのは刑事事件の弁護士がほとんどです。彼らの主な興味は再審を勝ち取り、受刑者の刑を軽くすることでした。

 

そのため私は、裁判所に提出するうえで何か役立つものを作ろうと考えました。まず裁判官たちは、どんな情報が欲しいだろうかと思考を働かせました。事件自体は既に50年近く前のことだから、その内容が全てということにはなりません。この人たちがちゃんと地域に戻ってやれるのか、そこを裁判官は何よりも気にすると考えました。

 

そこで再審の前に、受刑者に次のようなニーズをアセスメントするアンケートを取りました。

  • <質問1>出所後に帰る場所はあるか?
  • <質問2>IDは分かるのか?
  • <質問3>携帯電話の存在を知っているか?
  • <質問4>食料を買い求める方法を知っているか?
  • <質問5>就職先のあてはあるか?

などの内容です。加えて、

  • <質問6>あなたの強みは?
  • <質問7>やってみたいボランティアはあるか?

といったコミュニティへの参加・貢献についての質問なども作りました。このアンケートをもとに、裁判所に提出する社会復帰計画書(リ・エントリープラン)を作成することにしたのです。

 

とはいえ、ほとんどの受刑者が帰る場所やIDが無い。そこで私は20万円で購入した中古のホンダ・シビックで、受刑者の身元引受人になってくれる親戚のところなどを飛び回りました。芝刈りの仕事ならリ・エントリー後に紹介してもらえる。なんてことを聞きつけて、社会復帰計画書(リ・エントリープラン)に細かく落とし込んでいきました。もちろん出所後、本当に受け入れてくれる体制があることを裏取りすることも目的です。

 

こうやって調べていくなかで気がついたのが、受刑者の家族から予想以上に支援があること。実は受刑者の多くは、非常に信頼されているのです。その理由は刑務所を出たり入ったりを繰り返しているわけではなく、25年以上刑務所の中にいて安定して、勉強もしている。いわば賢人みたいな存在となっていて、何か問題が起こった時に相談する相手になっていたのです。このあたりは面白い現象だなと思いました。

 

この家族からの支援を受けやすいという事実を知り、サポーターを増やす活動を開始しました。教会を回ったり、ミシガン州全土で出所者支援をしてくれるネットワークを作るなど、コミュニティ・オーガナイジングをしたのです。

 

こうした取り組みや活動に対して、裁判官はとても喜んでくれました。実際の釈放後にどのようになるかについてはほとんど資料がなく、私が作ったような社会復帰計画書(リ・エントリープラン)はある意味画期的なものであったようです。

 

ところで、最高裁の判決で再審の後押しになったのは、脳科学の研究が進み、エビデンスが出たことだと聞きました。この研究内容を簡単に説明すると、15歳の脳は20歳の脳よりも、衝動を抑える力が弱いというものです。誰もが当たり前のように知っていることですが、実際の研究に裏付けられたのはとても大きかったのです。こういった研究を重視するのは、日本との大きな違いであり、見習っていくべきことです。

 

とはいえ、出所した後の支援は大変だった

リ・エントリーが認められた人たちには、もちろん社会復帰計画書(リ・エントリープラン)に沿って家族のもとに帰ってもらいました。ただ、そのまま私たちが何もしないわけにはいきません。裁判所向けではなく、本当にリ・エントリーした人たち1人ひとりの支援をしていくことになりました。

 

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例えば、ジョン・ホールという人は刑務所に50年いて、ここ数十年家族と連絡をとっていなかったのです。そのため出所のお迎えに行ったのは、私ともう1人のインターンの2人だけという状況でした。

 

彼は住むところがなかったので、刑務所が用意した更生保護施設に入りました。とはいえ、現代の生活に慣れるまで時間が掛かります。例えば携帯電話なんてスタートレックでしか知らないのです。それに、スーパーで買い物をするのも勝手が分からない。石鹸をひとつ買うだけでも大変なのです。

 

そうやって支援をしているうちに、リ・エントリーの取り組みに足りない部分が分かってきます。出所者のその後の生活が、彼らのリ・エントリーの準備をしたり、そのための支援をする役割を担う刑務所にフィードバックされていないのです。これが良くない。刑務所施策に関わらないと、リ・エントリーへの本当の支援ができないと思いました。

 

そこで、刑務所のなかでリ・エントリーを支援する部門にアプローチして、改善を促すような活動もしました。例えば、そこの部門へ話し合いの申し入れをして、〇〇さんの支援した結果、刑務所側の支援についてで「この部分」と「あの部分」が足りなったというのを伝えることや、「そもそも刑務所が発行したIDは、誕生日が違っていた」なんて、初歩的なミスの報告もしました。官と民の支援がこうして結びつくことになりました。

 

それと就職先が全然無いのも大きな問題だったので、デトロイトの町のさまざまな機関と連携して就職支援セミナーをして貰う活動もしました。

 

もっとも、出所してきた人たちにとって大切なのは、Manであること。独立した男として認められることなのです。彼らにとって「You are the Man」が最高の誉め言葉です。

 

だから店で買い物することなどが普通にできないと非常に恥ずかしいと感じてしまう。恥をかきたくないから、次第に外出することを嫌がり、引きこもり状態になってしまうなんて問題も多かったのです。

 

そこでパブリックディフェンダーオフィス(公設弁護人事務所)内で、リ・エントリーしてきた人たちと茶話会を開けるようにしました。この取り組みは、所属している弁護士たちにも良い影響を与えました。普段は控訴審を中心に担当している弁護士たちなので、クライアントにはほとんど会わないのです。しかしリ・エントリーしてきた人たちと、弁護士たちが接するようになって事務所そのものの空気も変わりました。

 

それから出所者が書くニュースレターの発行なんて取り組みも支援しました。ただの支援ではなく、彼ら自身に役割を持って貰うことがやりたかったのです。

 

そのように、リ・エントリーの支援は順調だったのですが…。

 

▼【3/3】に、続きます

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